第21回 横浜ソープ2024年の年末年始営業
早いもので2023年も残りあと僅か。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ぜひご参考にしてください。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元日に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、お店のホームページやお電話でご確認ください。
年末年始の営業状況と併せて今年も全国のソープランドの軒数をざっくり調べてみました。新規オープンや休業、閉店、価格改定などの情報が後から分かる場合も多々ありますので、数字に若干ずれがあるかと思われますが、2023/12/29時点で全国でおよそ924軒(超高級5、高級87、中級17、大衆145、格安653、激安17)のソープランドが営業中でした。
ちなみに、HPを公開していないお店は、問合せ先の電話番号が使われなくなったり、つながらない状態が一定期間続いた時点で閉店扱いにしています。また、メイン店以外に別館など複数店舗で営業されているお店については、店舗ごとにHPや問合せ先を設けている場合に限り、それぞれを1店舗としてカウントしています。
昨年来の物価高で今年も多くのお店で価格改定が行われ、その影響もあってかお店の区分も超高級店+1、高級店+2、中級店-3、大衆店+17、格安店-12、激安店-6と変化が見られました。
当サイトにつきましては、まだとりかかれてない沼津・熱海・富士・釧路などのマップ作成はいったん保留にして、ここ数ヶ月は主に中洲の店名変遷を調べているのですが、住宅地図だけだと完全には追えないため、過去ログが残っている2006年以降のbbsなどを参考に、お店のオープンや閉店、休業、移転、リニューアル、店名変更、統合、価格改定、業態転換、経営の交代などを分かる範囲で整理中です。
あと、ソープランド・トルコ風呂・遊廓関連本も引き続き収集しており、『吉原細見』や『月刊ミューザー』以外にも、bbsで遡れない2005年以前の店名変遷の手掛かりになればということで『ナンバーワンギャル情報』や『MAN-ZOKU』、『ザ・漫遊記』、その他風俗情報誌の地方版などを少しずつ入手している状況です。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2024年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第20回 横浜ソープ2023年の年末年始営業
早いもので2022年も残りあと僅か。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ぜひご参考にしてください。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元日に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、お店のホームページやお電話でご確認くださいませ。
年末年始の営業状況と併せて今年も全国のソープランドの軒数をざっくり調べてみました。新しくオープンしたり休業していたりという情報が後で分かる場合が多々ありますので、数字に若干ずれがあると思われますが、2022/12/29時点で全国でおよそ925軒(超高級4、高級85、中級20、大衆128、格安665、激安23)のソープランドが営業中でした。全体の軒数は去年に比べると若干増加が見られ、特に中洲エリアでは10軒以上のお店が新しくオープンしました。また、昨今の価格高騰の影響からか入浴料も全体的に上昇傾向で、お店の区分も超高級店+1、高級店+2、中級店+1、大衆店+20、格安店-21、激安店±0と変化が見られました。
当サイトにつきまして、ここ最近は関連書籍や住宅地図、昔のbbsなどを参考にコラムページのお店変遷リストや変遷マップを作成・手直ししたり、全国各地のソープ街を散策しながら写真撮影やマップ作成をしたり、吉原細見や月刊ミューザーなどのソープランド・トルコ風呂・遊廓関連本を蒐集したりしてきましたが、変遷リストについては、欲を言えば店名の変遷だけでなく、休業や営業の再開・系列の移動・経営の交代・業態転換や料金改定など大幅なシステム変更などの情報も盛り込みたいところ。他にも、まだとりかかれてない沼津・熱海・富士・釧路などのマップ作成や、買うだけ買って読めてない本もかなりの数に上ってきてるので、そちらも合間を見て少しずつ読んでいきたいです。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2023年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第19回 横浜ソープ2022年の年末年始営業
早いもので2021年も残りあと僅か。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ぜひご参考にしてください。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元日に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、お店のホームページやお電話でご確認くださいませ。
年末年始の営業状況と併せて今年も全国のソープランドの軒数をざっくり調べてみました。新しくオープンしたり休業していたりという情報が後で分かる場合が多々ありますので、数字に若干ずれがあると思われますが、2021/12/30時点で全国でおよそ922軒(超高級3、高級83、中級19、大衆108、格安686、激安23)のソープランドが営業中でした。今回も別館として稼働しているお店はカウントしてませんが、去年に比べると全体の軒数が若干増え、特に吉原と土浦ではお店の数が合わせて10軒以上増えました。
当サイトについては引き続き、気になったエリアを散策したり、関連書籍や住宅地図を参考にコラムページのお店変遷リストと変遷マップを作成・手直ししたり、余裕があれば沼津・熱海・富士・釧路など未作成エリアのマップも作成していきたいです。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2022年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第18回 『危険な毒花』を読んで
今回は『危険な毒花』常盤とよ子/著(三笠書房)の紹介です。
ここに戦後間もない横浜の赤線地帯を収めた一枚の写真がある。場所は横浜曙町の親不孝通りにかつてあったカフェー「よしの」の前。写真を撮影したのは横浜出身の女性写真家・常盤とよ子。本書は、駐留軍が我が物顔で闊歩する当時の横浜で、赤線地帯で働く女性を被写体として追いかけた一人の女性写真家の撮影記録である。
常盤が初めてカメラを手にしたのは昭和26年の春。カメラに詳しい兄の友人Mに対する憧れがきっかけだった。Mは次第にカメラにのめりこんでいく彼女に言った。
「戦後は、女の人があらゆる職業面に目ざましい進出を見せてきたが、まだ写真界には、これぞという女流写真家が出ていないね。だから、あなただって、その気になって、一生懸命やれば、ひょっとすると一流カメラウーマンになれるとも限らないね…」
当初夢見ていたアナウンサーへの道に限界を感じていた彼女はMの言葉を心の支えにプロ写真家を目指すことを決意。そんな彼女を励ますようにMは言った。
「写真というものは単なる風景や静物をうつすだけでは意味がないので、その対象に撮影者の全人格、全思想、全生活体験がひとつのものとして結晶してはじめてシャッターがきられるのであって、そこに作品のもつ意義があるのです。だから、とよ子さんみたいに女性であることはカメラマンにとって大きな特権なのだから、まず女性でなくてはうつせない対象をつかむこと、そして、その対象に女性である自分の持味を十二分にそそぎこむことが重要なのです。もし、それが作品の上にしっかりと結晶できたら、まちがいなく問題になりますよ」
彼女のMに対するひそかな思慕の感情は、ある日突然兄からもたらされたMの婚約の知らせにより潰えることとなるのだが、失恋のショックは彼女のプロカメラマンを目指す決意をより一層強固なものにすることとなる。
写真家としての自立を模索する中で、期せずして彼女はアマチュア写真クラブの講師として迎えられ、会員である学生たちと中央の写団では味わえなかった友人同士のようなのびのびとして関係を築いていく。クラブ活動の中で、彼女は目的もなく行きあたりばったりに写真を写すことの無意味さに気づき、女性の視点から見た当時の女性の職業をテーマに作品づくりをしようと思い立つ。
昭和31年、彼女は銀座の小西六フォトギャラリーで個展を開催。今まで撮りためてきた「赤線地帯の女性」のほか「ショップガール」「海女」「マネキンガール」「女子プロレスラー」「ちんどんや」「ヌードモデル」「ダンサー」「芸妓」など『働らく女性』をテーマにした作品を公開し、一躍時の人となる。
翌年、彼女は26歳の時に本書を発表。そこには、カメラと出会ってから今に至るまでの撮影を通して積み重ねてきた様々な苦労や経験、二十代の女性が世の中の不条理と日々向き合い続ける中で抱く率直な思い、男性社会の中で女性が自立して生きて行くことの難しさなどが六十数点の写真とともに赤裸々に綴られている。
第17回 横浜ソープ2021年の年末年始営業
早いもので2020年も年の瀬ですね。今年はコロナ禍で、お店のスタッフさんやコンパニオンさんをはじめ関係者の皆様にとっても感染対策に追われたりと大変な一年だったことと思います。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、最近なかなか遊びに行けなかった方も、オンラインのお仕事が増えてお疲れの方も、感染対策に気を付けながら2020年を締めくくる素敵な姫納め・姫初めをお楽しみくださいね(*^^*)♪
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、お店のホームページやお電話でご確認くださいませ。
年末年始の営業情報と併せて今年も全国のソープランドの軒数をかなりざっくり調べてみました。新しくオープンしたり休業していたりという情報が後で分かる場合が多々ありますので、数字に若干ずれはあると思われますが、2020/12/29時点で全国でおよそ915軒(超高級3、高級87、中級18、大衆100、格安690、激安17)のソープランドが営業中でした。去年との軒数の違いについては、コロナ禍による閉店・休業もありますが、部屋貸し専門など別館として稼働しているお店を一部カウントしなかったり、電話が切られていて営業しているかどうか分からないお店を外したり、広島エリアのソープヘルスを一部追加したり、今までリストに載ってなかったお店(玉戸スチームバスなど)を追加したりもしたので、見かけ通りに軒数が増減しているとは言えない状況です。
サイトについては、当初予定していた全エリアの散策は来年以降にいったん持ち越すことにして、引き続き今まで収集した関連書籍を読みすすめながら、コラムページのお店変遷リストと変遷マップを手直ししたり情報を追加したりしていきたいと思います。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2021年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第16回 『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』を読んで
『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』(中区制五〇周年記念事業実行委員会/編)の紹介です。
本書にはペリー来航前夜の江戸時代末期から、みなとみらい21事業が着工された昭和58年頃までのおよそ130年にわたる横浜の歴史が詳述されています。
江戸末期に地方の一寒村だった横浜村が、たまたま江戸からの距離がほどよく港に適した立地であったために日本の玄関口としての役目を背負い、強者の論理が支配する帝国主義の荒波にもまれながら常に歴史の矢面に立ち、明治・大正・昭和という激動の時代を乗り越えてゆく様子は、あまりにも数奇でドラマティックな宿命と言わざるを得ません。
ちなみに本書には性風俗関連業についてもわりと詳しく取り上げられていて、トルコ風呂(ソープランド)をはじめ、遊廓やカフェー、チャブ屋など様々な業態がどのように誕生し、時代が移り変わるなかでどのように変化を遂げていったのかを、様々な資料や関係者の証言をもとに説明がなされています。
以下に関連部分を時系列でまとめながら、横浜における性風俗関連業の成り立ちと移り変わりを見ていきたいと思います。
横浜の遊廓は、万延元年(1860年)太田屋新田の一角、現在の横浜公園のあたりに江戸吉原を模して造成された「港崎(みよざき)遊郭」にはじまります。本書に引用されている文久3年版の『美那登能波奈横浜奇談』には町の繁盛ぶりが次のように述べられています(P199~200参照)。
「大門口を往かふ送りむかひの箱でうちんは、蛍の飛かふより猶しげく、仲の町の桜は艶々として、娼妓に色をあらそふ。すべて四季おりおりの美花、絶ゆる間なし。岩亀楼の家造りは蜃気楼のごとくにして、あたかも龍界にひとしく、文月の燈籠、葉月の俄踊、もん日もん日の賑い目をおどろかし、素見ぞめきは和人、異人打まじりて朝夜を分ず。娼妓道中は綺羅をかざりて唐物、和物を好みの取りまじへ、さし飾り着かざりたる粧ひ、天女のあまくだりしかと疑がわる。楼上には洋銀の花を咲みだしぬ、座敷には金銀の宝を蒔きちらせり。かゝる全盛の有様、三都の廓にもおさおさおとるまじとぞ思わる。さればひとたび此廓に遊べるものは、魂有頂天にのぼり、更に家に帰へるを忘るべし」
また、「大門から出たところ、衣紋坂の両側には十二軒の茶屋があり、廓内の四軒の茶屋ができたが、この遊郭を中心として種々の観世物興行がかかり、いろいろな小商人が出、さらにはドンタク(日曜日)には、英吉利の赤隊が出て来て散歩というように非常なにぎわいがここに生じた」(天保老人談『横浜どんたく・下巻』)とも記されています。
その後、港崎遊郭は、慶応2年(1866年)10月の「豚屋火事」で焼失しますが、翌年、吉田新田内の沼地を埋立てて吉原遊廓がつくられます(P376~377参照)。
これは豚屋火事で焼失した港崎遊廓の跡地が公園として整備されることになったためで、代替として新しく指定された、吉田新田一つ目の約1万坪のうち8,000坪を埋立ててつくられました。新しい遊廓は江戸と同じ吉原町と称され、大門の外は姿見町と名付けられました。『横浜開港五十年史・下巻』によると、廓内には明治2年時点で、妓楼18軒、遊女424人、局見世84軒、遊女63人を数えたそうです。また、廓内には吉原町会所が設けられ、日本初となる梅毒の診療室では、英人医師ニュートンらにより梅毒患者の治療が行われました。その後、慶応4年6月に病院が建てられ、ニュートンのほか松山不苦庵も加わり検診が実施されました(『横浜市史稿・政治編』)。また、創立当初から後に病院長となる宮島義信が医員兼通弁・薬剤師として勤務しました。
ちなみにこの頃、明治2年(1869年)11月の改修で「かねの橋」と呼ばれる鉄製の橋になった吉田橋が開通し、関外一帯の人出が増え、遊廓で遊ぶ人を上回る人出になりました。
しかし、吉原遊廓は明治4年(1871年)11月に火災で焼失。このため遊廓施設は、埋立が終わった新開地高島町に移転させられます。
遊廓の高島町への移転については、明治5年(1872年)野毛浦の埋立地に日本最初の鉄道が建設され、横浜-新橋間で営業が開始されたのと時期を同じくします。本書の地区編の第五章・野毛地区(P482参照)によると、鉄道用地以外の部分は同年4月に高島町と命名され、そこへ吉田新田の吉原遊廓が移転。この遊廓は高島遊廓と呼ばれ、一時的ではありましたが、不毛の埋立地を繁栄へと導きました。
ただ、新開地に繁栄をもたらした高島遊廓ですが、鉄道の開通後、外国人の乗降りが多くなり、その上、天皇がしばしば横浜へ行幸するようになるとその存在が次第に目障りとなり、明治13年に関外の千歳町3丁目の西側、山田町、富士見町の各3、4丁目、山吹町の3丁目の一帯に移転が決定します。
明治15年、高島遊廓は一斉に取り壊され、5月に長者町1、2丁目に仮宅(仮店)を設けて営業を開始。移転予定地は町名改正により、同年、永楽町、真金町と町名がつけられます。長者町の仮宅から同地への移転は21年に完了。仮宅跡地はすぐに人家が建ちはじめ、この地区発展のきっかけとなり、遊廓移転先の真金永楽地区もすぐに街並みがととのいました。
話は変りますが、この当時、明治初期の関内には麦湯風俗と呼ばれる業態もあったそうで、一店に数名の女性を抱え通行人を無理やり引き込み、みだらなことをして茶代をとるなどしていたそうです。
次にチャブ屋について見ていきます。チャブ屋の起源については地区編の第七章・北方地区(P615参照)や第九章・根岸地区(P745参照)に記されていますが、慶応元年に元町から北方、本牧、根岸、山手一帯にかけて整備された外国人遊歩道の脇にあった茶屋が、遊歩道が使われなくなった明治10年頃から北方、本牧方面へ移動。明治15年頃には本牧に春木屋という店ができ、営業の形態がととのったといわれています。さらに明治25、6年には本牧に約30軒、北方に10軒、桜道や地蔵坂あたりに5、6軒ができ、チャブ屋全盛のもとになったといわれています。大正に入って、行政上から一区域での営業の方針がとられ、関内や埋地・地蔵坂あたりのものは石川町の大丸谷に、本牧方面や北方のものは小湊に集められます。通称「本牧チャブ屋」というのがこれで、震災までは外国人専門として営業していました。
チャブ屋の語源については『横浜市史稿・風俗編』によると、「ちゃぶ屋は英語のチョップ・ハウス(Chop house)に其語源を持って居ると見るのが、最も正しいと思はれる。『チョップ・ハウス』は現今の所謂簡単なる料理店の事である。簡易食堂であり、安直料理店である」と述べられていて、外国人との接触の多い居留地に働く人々や人力車を扱うリキシャマンなどが「聞き覚えの耳語に当てはめて『チョップ・ハウス』から『チャブヤ』に転じた。この『ヤ』そのものは、けだし横浜言葉として特異の情想を含んだもので、『何々ハウス』『何々ショップ』『何々ストーア』のようなものは省略され、すべて日本語で言う『何々や』になった」としています。
明治末期、内地雑居禁止令解除後の旧居留地、山下町ににあらわれたチャブ屋については下記のように記されています(P307参照)。
「新会社の付近にはチャブ屋が多かった。会社の前にはクリテリオン・ホテルというのがあって、外人経営のもかなりあったし、外人の売春婦もたくさんいた。全部で二百軒くらいはあったろう。前田橋付近から横浜公園にかけてずらりと並んでいた。関東大震災でみなやられてしまい、本牧へ移ったのだから本牧のチャブヤ以前あるいはチャブヤの先べんという時代だ。上下合せて30坪くらいの木造二階建だが、いずれも洋館式で○○ホテルという看板に灯がともり、外国船員たちは入港のたびに波止場から一目散にとんできたものだ。なにしろ気の荒い水兵や船乗り相手の商売だし、女の方もしぜん強い、いわゆる、あねごタイプが多く、客に金がなくなるとポパイかいかりの入れ墨をしたホテルの主人が客のえりをつかんでポンと道路にほうり出す風景は子供心にいまでもよく覚えている。南京街の中でメーン・ストリートの中華料理店街と並んでつねに活気があり、それだけ外貨もたんとかせいでいたわけだ」(村岡儆三「チャブヤのはしり」『横浜今昔』)
大正12年(1923年)の関東大震災ののち、チャブ屋は官憲の取締りによって小港と大丸谷の地域に限って営業するようになり、山下町から姿を消すことになります。山下町界隈は外国艦隊などの入港の際、昼夜となく繁盛しましたが、外国人泥酔者が徘徊したり、不良外国人が横行する厄介な場所だったようです。
昭和8年頃の地図によると、大丸谷(現在の石川町2丁目)には下記の12軒のチャブ屋が営業していました(P584参照)。ニューヨコハマ、カマクラ、キミ、パナマ、旭館、ジャパン、ミウラ、ミネ、東京、ホネムーン、サイ、デユクスの各ホテルで、なかでも建物として大きいのは、ジャパン、東京ホテルなどでした。
「石川仲町一丁目と二丁目、元町のトンネルを前田橋から見た右の太古角兜型の赤青甍のピラミッド。高爽な坂路に沿った別世界。閑静で眺望の佳いホテル街。ホテル数十五軒で女は六十人程。代表的なのはサイ。ジャパン。ミネ。デユクス。朝日館ホテル。三浦ホテル等。ここでは外国船員などが歓迎される。そのせいか本牧に比べてやや寂寥の気分がある。特徴はゴタゴタしてゐないで寧ろ清遊に妙だと云ふ。…
組合幹部連中が今盛んに本牧の隆盛を大丸谷に移すべく繁栄策を練ってゐる。従って、もうやがて茶巫屋と云へばホンモク…ホンモクと云へばホテルの偏頗な連想は大丸谷の近代的な進出と、打って一丸とされる事と思ふ」(平野威馬雄「ちゃぶや由来記」『中央公論』所収)
大丸谷のチャブ屋は、戦災による焼失は一部のみですんだものの、昭和34年売春防止法によって消滅することになります。
大正初年、大丸谷とともにチャブ屋の営業区域として指定された小湊には20数軒のチャブ屋が開かれ、外国人相手に営業を続けてきました(地区編 第七章・北方地区P615参照)。
大正期のチャブ屋は盛んだったようで、その一端は次のように記されています(P630~633参照)。
「何と云っても其の本場は、本牧のチャブ屋である。本牧、十二天、小湊、宮原、上臺にかけて、ホテルやバーやテーハウスが、四十軒近くも散在して居る。…
小湊の電車停留場前には、各ホテルの案内図が出て居て、喜代は何処、大黒は何処と判り易い道しるべを、何人も敢て不思議としないほど、本牧のチャブ屋だけは、天下御免の大ビラに、植民地的の色香のシーンを、次々に展開して居るのである。…
チャブ屋に見る情趣は、何となく日本放れがして居て、如何にも「港の横浜」と云ふ感じがした。
狭い六畳の洋室でも、窓を開けば白や赤の点火が点々として海近い夜風さへ、「相思草」の舞台面を聯想させた。真にモダンガールと云ふべきであらう」(松崎天民『明治大正実話全集・裏面暗面実話』)
昭和に入るとチャブ屋はますます盛況を極めます。お客も外国人に加え、キヨホテルほか二店以外は京浜の会社員や給与生活者も客として迎えました。
客層もも多様になったこの頃から、チャブ屋は、簡易ホテルにバー、キャバレー、喫茶店(ミルクホール)、酒場などをミックスしたような営業形態となり、そこで働く女性たちはダンサーとしての技量はもちろん、中には女学校を出てひと通りの知識も持ち合わせ、外国人と英語でつき合うこともできるなど、いわゆるモダンガールの発祥ともいわれました。
昭和初期のチャブ屋は、キヨホテルとカノホテルが本牧町4丁目の海の近くにあったほかは、小港町3丁目にかたまっていました。そこにはいわば検番の仕事を兼ねた山手旅館組合事務所があり、組合の事務が行われていました。
「チャブ屋は遊廓とは違います。部屋代とか食費は自前でしたから、彼女らは夜の営業時間以外は、いつどこへ出かけようとまったく自由の身でした。伊勢佐木町に散歩に行くもの、銀座に買物に行くもの、日本橋のユニオンというダンス・ホールに顔を出すことだってありましたよ。
チャブ屋には、酒場さんというマネージャーといった格の人がいて、店の経営をとり仕切ってました。この人がお客と交渉しましたが、英語が判る人で、外国人でも平気でした。年輩の人が多かったですよ」(野毛町 吉田衛氏談)
ここの女性たちについて、昭和初期からチャブ屋を経営した人は、「保護者の認めた書類をとって、身元の確実な者だけを使いました。朝食は十時、昼食は午後一時、夜は六時にお風呂に入ります。その前にごはんをきちんと済ましています。規則正しい生活はチャブ屋の特徴なんですね。ひと頃は判事さんや警察の方も来られましてね。昭和の初め頃はまあよき時代だったんでしょうね。
芸事は必要ありませんで、普通愉快にさわいだりしていたもんですから、ハイカラに見えました。ニ十歳前後の女性が多く、大体はいい人たちが多かったんです」と語っています。
また当時一世を風靡したメリケンお浜について次のように記されています。
「チャブ屋のなかに、メリケンお浜という有名な女性がいた。私の父が第二キヨに牛乳を納めていた関係から、お浜さんは父に、何んでも頼んでいました。お浜さんは浜ッ子でした。大柄で美しい人でした。全身にお白粉をぬって、香水風呂に入っているともっぱらの評判で、大層稼いで、どんどんとお金を使ったものです」(第四北部有志座談会)
「私はお浜さんと懇意にしていました。直接聞いた話ですが、ツェッペリンの飛行船が来たとき、その乗組員がお浜さんに惚れて、帰るのがイヤだと、格納庫にかくれてしまい、予定より遅れて帰ったということで、よほどお浜さんがよかったんでしょうね。メリケンお浜って外国まで知られたんです。戦後の昭和二十年代、弥生町の自分で経営したバーで亡くなりました。
この人のことについては、小堺昭三の小説『メリケンお浜の一生』ほかに書かれていますね」(酒亭 上総屋常連座談会)
こうした状況は昭和12年、日中戦争が勃発し、日本中が戦時体制下に入ってからも変ることなく続けられましたが、遂にチャブ屋は廃業の危機を迎えることとなります(P638参照)。
「女の子たちは、昼間はモンペで防空演習にはげみましたが、夜になれば、本来の営業でした。お客は有名な人がずいぶん来られました。隊長クラスの軍人、軍需工場の経営者などがお客で、一般の人や兵隊さんは来ませんでした。軍人さんが来ると、いつも羊かんの様な甘いものを持って来てくれますので、甘いものには不自由しませんでしたよ」と当時の女性経営者は語っています。
しかし戦争も激しくなった昭和18年、3月24日には「第一キヨ」、25日には「第三キヨ」というように、23軒のチャブ屋は全て廃業に追い込まれてしまいました。
昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲で、ただ1店鉄筋コンクリート造のスターホテルを残し灰燼に帰したチャブ屋街ですが、戦後、進駐軍兵士の慰安の場として復活を遂げます(P642~643参照)。
「私は終戦後すぐ、時の警察部長に呼び出されたんです。恐る恐るいきますと、部長は、早速だが、いよいよ近日中に連合軍が横浜に上陸してくる、こんどは君達が第一線に立ったつもりで、国家のために働いてくれ給え、ついては、君達は今まで外人の扱いには慣れているはずだ、慰安所を設置してくれと、頼まれたんです。
そこで、ただ一軒焼け残ったスターホテルを共同で利用して営業をすることになりました。この営業中、朝、昼、夕と2~3人のMP(ミリタリー・ポリス)が巡視して秩序は保たれていましたが、営業を開始するや進駐軍は鉄砲片手に、押しかけてきましてね…」(北方町某氏談)
「格別の事故もなく、営業がつづけられましたので、警察部長と署長から、おほめの言葉があったので、元気百倍、ほっと安心しましたね」(同氏)
「この頃、米軍兵舎がスターホテルの近くから十二天にかけて、テント張りで30ばかりズラリと出来ました。テントの内は重油発電機で、夜もこうこうとしていましたが、スターホテルの方はローソクの光だけ。このあり様を見ていた隊長の好意なんでしょうね。…向う様で電線や電球持ちで、分灯をしてくれたときは、そりゃ組合員はとび上って喜んだものです」(同氏)
一方で、チャブ屋における性病予防について、もともとチャブ屋街では大正10年に警察の指示により、経営者間で組合が組織され、月2回の健康診断が行われていましたが、同14年頃から毎週1回に改められるなど、常に予防の努力がなされていて、それが本牧チャブ屋街の特徴の一つとなっていました。戦後は、米軍の強い要求もあって、さらに一段と強化され、地元の医師渡辺熊雄博士(元神奈川県性病予防協会会長)によりスターホテルの一室で献身的な診察が行われました。
ところで、この旧スターホテルのある小港町2丁目周辺は接収一号地として接収されていたため、業者は小港3丁目から本牧2丁目、旧市電通り裏一帯にかけて移転。業者の数も昭和21年には64軒に達し、米軍兵士による不夜城が出現しました。MPは毎日1回組合代表を同乗させ、新しいチャブ屋街を巡視して治安を守りましたが、このエリアに日本人は近寄ることができませんでした。こうして戦後のチャブ屋は、場所を変え、本牧や小港で歓楽街として歩みを始めましたが、それから10年後の昭和31年5月「売春防止法」の施行にともないあっけなく終末を迎えます。チャブ屋街唯一の遺構となっていたスターホテルは接収され、米軍住宅のなかでクラブに使われていましたが、昭和57年3月31日の接収解除後の跡地整地で取り壊されました。
続いてカフェーについて見ていきます。カフェーは昭和初期の市民の歓楽の代表とされ、伊勢佐木町ではメトロナイトパレス、サクラサロン、それに曙町の喫茶横浜ブラジルが評判となりました(P416参照)。
ちなみにこの当時の周辺地域の様子については、伊勢佐木町1・2丁目の通りを中心として、大岡川寄りの吉田町、派大岡川寄りの蓬莱、羽衣、末広の各町は、伊勢佐木町の裏側の町として歓楽街を形成していました。その隣には南北を長者町の通りが貫き、その向うの曙町や弥生町は、富士見川(現在の大通り公園)にかけられた武蔵橋や長島橋によって隣接の遊廓地域と接続し、その影響を強くうけていました。大岡川の川岸には柳が植えられ、川に沿った一帯にはバー・待合・飲み屋・芸妓置屋が多く立ち並んでいました。
「この地域には『景気づけ』に飲み食いをして廓(なか)に繰り出す者や、廓での不首尾を忘れるためのやけ酒、というような人々が多く来たこともあります。
曙、弥生の三丁目から四丁目にも置屋が多くて、飲み屋、カフェもずい分ありました。置屋の芸者は、伊勢佐木町の料亭にでかけてましたね」(第一北部有志座談会)
弥生町の一部はもとの吉岡町、久方町、雲井町が含まれていたことから、吉岡町の岡をとってオカチョウ、曙町の場合は、曙のアケからのちにアケチョウと略して呼ばれたこともありました。また、盛り場にそったこの界隈の裏通りは、地元以外からは通称「親不孝通り」と呼ばれていました。
「語源といったほどのことではありませんが、あそこの通りには若い頃放蕩を尽して、親の死に目にも会えなかった人がいたとかで、そのように呼ばれるようになったと聞いています。」と地元の人はいいます。
カフェーの起源ついては本書の市民編(P916~918参照)によると、明治44年東京京橋区で「プランタン」が開業したのに始まるといわれています。
「そこは主として文士や画家や俳優の集合場所であった。壁面には、それら芸術家達の楽書が一面に書き散らしてあった。そこではコーヒーが呑まれ、ウイスキーが買われ、洋食が並べられた。そうしたなかに芸妓が酔って来て連れと喰ってかかったり、文士が芸妓と来たり、芸妓との道ならぬ恋におちた学士が人眼をしのんで来たりして、午前二時頃まで開業していたという」(『カフェー名鑑』昭7)
昭和7年刊行の『カフェー名鑑』によると、女給の数は、昭和7年4月時点で、全国で79,877人。うち東京37,970人、大阪16,373人、京都2,000人、横浜は2,264人でした。
「看板過ぎ(終業)の彼女らの溜り場は、伊勢佐木町本郷バーのすし屋「松屋」、曙町のカフェー・アジアの隣のすし屋「ひよっこ」で女給たちは、ここで食事をしながら雑談を交したという。
彼女らの日常のスタートは遅い。午前中は就寝。遅い昼食をすませて、午後二、三時頃入浴。就業は季節によっても違うが五時すぎから六時。看板は午前零時すぎとなる」(前掲書)
横浜のカフェー建築はそれぞれに意匠が凝らされていましたが、それらは相生町6丁目に事務所を持つカフェー美術家協会や神奈川区反町の横浜カフェー美術家連盟が意匠づくりを担っていました。
また、店の宣伝広告も専門家により工夫が凝らされ、「近代の女王チドリの彼女が君に捧げる今宵のサービスは?」「華麗優艶の雰囲気に酔ひ給へ」「青い風車が静かに廻るハマのムーラン・ルージュ・サクラサロン」「合法的サービス、お客様の指名したお好みの美給が一人だけサービス致します」「新装なり斯界尖端を進むオオ、クラシック美女の乱舞するカフェー○○」「スマートな麗人のタッチサービスを誇る」「失恋した人はいらっしゃい、私達が恋人になってあげますわ」など詩的なものから煽情的なものまで様々でした。
カフェーは毎月のように催事を行い、例を挙げると、正月は新年宴会、双六サービス、年賀交換会、初夢座談会、初雪見デー、12月はクリスマスデー、忘年会、若返りデー、年忘れ大会、酉の市デーなどで、酉の市デーには「熊手」が一人一人にプレゼントされるという念の入ったサービスぶりでした。
しかしこうしたカフェーも、昭和10年代に入ると自粛の「強制」が行われるようになっていきます。
ちなみに太平洋戦争直前の関外については、全国的な軍需景気のおかげで、待合や貸座敷など花街は意外な盛況を迎え、これに対して曙飲食店組合は、従業婦の不足や法改正により12時までに閉店するなど衰退現象を見せていくこととなります(P422参照)。
そして戦後、アメリカ軍により関外地区のほとんどが接収されるなかで、接収地に隣接する末吉町裏などには酒場がぽつぽつできはじめ、曙町や弥生町一帯は「青線」と呼ばれ、夜には屋台の店が並び、街娼が出没しました。特に裏通りの一部は、俗に「親不孝通り」といわれ市民の歓楽の場所となりました(P432参照)。
昭和26年当時の慣行地(特殊飲食街として戦前から認められていた区域)としては、曙中央(伊勢佐木町の仲通21軒)、伊勢佐木町西部(曙町4丁目27軒)、それに永真(真金町1丁目82軒)の各地区が認められていましたが、末吉町1丁目~3丁目約20軒、近くの南区西仲町の一角約30軒が永真カフェー街周辺にはみ出して風俗営業を行っていました。その多くは住宅を用途変更したものでした。
特殊飲食店は、一方で売春婦を増加させ風紀の悪化をもたらすため、当局はしばしば摘発を行いましたが、この指定地以外の売春婦は慣行地区の約1,400人に対して、はみ出し区域は約2,500人に上っていたといわれています(P433~434参照)。
ちなみに青線については日ノ出町の裏通り、京浜急行のガードに沿う一帯にも発生し、バーもどきの一杯飲み屋や簡易宿泊所が建てられ、進駐軍兵士を相手とする売春が行われていました。
本書にはストリップについても記述があり(P1040参照)、昭和25年(1950年)、ハマの裸ショウ劇場として有名になった横浜セントラル劇場(旧・オペラ座)と横浜日劇では、その新発足記念興行のために女性が一枚一枚衣裳を脱いでゆく踊り、ストリップが興行され好評を博しました。
この成功を見た大小のキャバレーでは客寄せのためにストリップショーをアトラクションに取り入れ入れ、5月頃にはあちこちで大流行となりました。
次はいよいよトルコ風呂についてです。昭和27年9月から関外地区の接収解除が徐々に進められる中で、ソープランドの前身となるトルコ風呂が誕生します(P443参照)。
伊勢佐木町周辺では、昭和30年4月、飛行場の跡地、若葉町に個室4室をもつトルコ風呂が許可されます。トルコ風呂は、パチンコブームやストリップ劇場の繁盛に沸く昭和26年4月、東京銀座にオープンした東京温泉に始まり、福岡、札幌に次いで、本市にも出現。以来風俗営業指定地域である福富町、末吉町、若葉町、曙町に次々とその姿を現わすことになります。
トルコ風呂は、中区においては昭和28年(1953年)6月、野毛に1軒(16室)が営業許可されたのが始まりですが、その後、昭和28年から47年にかけて次々と出現し、特に福富町西通に最も多くの店(室数)が建設され、現在のトルコ街形成の要因となりました。この地域のトルコ街は、県内では川崎堀之内地区とともに多くの店舗数を数えています。
ちなみに昭和46年(1971年)12月に野毛2丁目に開業したトルコ風呂をめぐっては反対運動が起き、中保健所の営業許可がおりないまま開店後すぐ休業となるなど、紆余曲折もありました(P551参照)。
ちなみにこの頃、昭和35年10月にかつて長者町8丁目にあった清正公堂の本堂が再建、落慶式があげられています。これがシンボル的な存在となり、飲食店を主とする清正公街が繁栄を遂げることとなります。(P446参照)
横浜市では、昭和47年12月12日「横浜市トルコ風呂指導要綱」を施行、トルコ風呂対策協議会をもって、営業時間、個室内の照度(50ルクス以上)などを指導することになりました。
トルコ風呂でこの月までに区内で許可を受けたものは総数44店(浴室数は589室)で、そのうち関外地区で31店(451室)、野毛地区10店(113室)、関内地区3店(25室)でした。関外地区のうち福富町西通の14店が最多で、曙町が6店と続いています。これが昭和51年になると、西通は17店となり、他町とも同様に増加傾向を示しました。この頃ホステスは一店平均18.9人、料金は平均4、5千円、高級和風トルコがその主流となりました(P448~449参照)。
以上、性風俗関連業について書かれた箇所を抜粋し、業態ごとに年代順に整理してみました。本書については、頁数1100ページあまりとかなり読み応えのある量ですが、関係者の方々の胸に迫る数々の証言に加え、当時の写真や地図も豊富に収録されているので、頭のなかに当時の状況をありありと思い描きながら読み進めることができます。
横浜の近現代史に興味のある方はもちろん、横浜の性風俗関連業の成り立ちについて理解を深めたい方はぜひご一読されてみてはいかがでしょうか。
第15回 横浜ソープ2020年の年末年始営業
早いもので2019年も大晦日ですね。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ぜひご参考にして下さい。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫初めをお楽しみ下さいませ♪
年末年始の営業情報と併せて今年も全国のソープランドの軒数をかなりざっくり調べてみました。新しくオープンしたり休業していたりという情報が後で分かる場合が多々ありますので、数字に若干ずれはあると思われますが、2019/12/29時点で全国でおよそ964軒(超高級3、高級102、中級16、大衆108、格安722、激安13)のソープランドが営業中でした。
サイトについては、去年全エリアのソープランドリストの作成が終わりましたので、今年はソープ街マップがまだ作成できていないエリアのうち、「姫路」「尼崎」「福井」「片山津」の4エリアを散策しながら、マップの作成と写真撮影を行いました。東海地方を中心に未散策エリアがまだいくつか残っていますので、できれば来年中に全エリアの散策を終え、現在収集中の遊郭・ソープランドの関連書籍も読み進めていきたいと思います。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2020年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第14回 横浜ソープ2019年の年末年始営業
早いもので2018年も大晦日ですね。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ぜひご参考にして下さい。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫初めをお楽しみ下さいませ♪
年末年始の営業情報と併せて今年も全国のソープランドの軒数をざっくり調べてみました。新しくオープンしたり休業していたりという情報が後で分かる場合が多々ありますので、数字に若干ずれはあると思われますが、12/29時点で全国でおよそ965軒(超高級3軒、高級105、中級17、大衆122、格安706、激安12)のソープランドが営業中でした。
今年は、去年の中国・四国エリアに続き、東北エリアのソープ街を散策しました。東北には仙台・国分町や秋田・川反、福島・小名浜など穴場的なソープ街がいくつかあり、お手頃料金で良嬢と遊べるお店が数多くあります。ソープ以外でも東北はグルメや温泉など楽しみが多く、旅行を兼ねて風俗巡りをするのにオススメのエリアです。よろしければこちらもご覧下さい。
>>東北ソープ徹底攻略 | 岩手・秋田・宮城・福島ソープランド情報
サイトに関しては、ソープ街マップを作成していないエリアがまだいくつかあるので現在少しずつ追加中です。今年はソープランド調査と並行して、かつて遊郭があった場所の散策も行いました。旧遊郭跡地は場所によっては、今もなお遊郭時代の建物や遺構が残されていることが多く、当時の情緒や雰囲気を直に感じることができます。遊郭はその後の赤線やカフェー、特殊飲食店などにもつながっていて、遊郭についての知識を深めることはソープ街の成り立ちを知る上でも欠かせないので、現地調査とあわせて関連書籍や文献も読み進めていきたいです。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2019年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第13回 横浜ソープ2018年の年末年始営業
早いもので2017年も残り後わずかですね。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今回も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ご参考にどうぞ。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫初めをお楽しみ下さいませ♪
年末年始の営業情報のついでに全国のソープランドの軒数もざっくり調べてみたところ、全国で983軒(超高級2軒、高級107、中級18、大衆132、格安711、激安13)でした。
エリアとして一番多いのは東京・吉原141(高級53、中級3、大衆36、格安48、激安1)で、それに続くのは、中洲82(高級7、中級6、大衆13、格安54、激安2)、福原60(高級12、大衆4、格安44)、堀之内55(超高級1、高級13、大衆9、格安30、激安2)、金津園45(超高級1、高級6、中級6、大衆10、格安22)、熊本42(中級1、大衆10、格安31)、すすきの38(大衆2、格安34、激安2)、雄琴33(高級6、大衆5、格安22)といった感じです。
このコラムも最近は年末年始営業のお知らせ告知コーナーになってきてますが(^^ゞ、余裕があれば各地域の歴史や街ネタなどをどしどし取り上げたいところです。ちなみに、今年は主に中国・四国地方のソープ街を散策していまして、先日アップしました「広島ソープ徹底攻略」にリストやマップなどをまとめてあります。
中国・四国地方のソープ街は、大きなところで広島の弥生町、鳥取の皆生温泉、下関のまるは通り、愛媛の道後温泉、高松の城東町、徳島の栄町・鷹匠町、高知の堺町などがあり、軒数が少ないところで島根の玉造温泉、岡山の田町、香川の琴平などがあります。いくつかのエリアで何軒か遊んでみたのですが、料金がお手頃で良嬢がかなり多い印象でした。
探索した街並みの写真は各エリアの認証ページ(一番最初のページ)の下の方にある「○○百景」というコーナーに説明文つきで掲載しつつ、「Google+」や「Facebook」にもグルメ情報や宿泊先の温泉・ホテル情報などを載せていますので、街歩きのご参考にして頂ければと思います。一応今後の予定としては、東北をはじめ、まだ訪問してないエリアを作成しつつ、余裕があれば各地域の歴史なども調べていきたいと思います。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2018年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第12回 横浜ソープ2017年の年末年始営業
早いもので2016年も残り少なくなってまいりました。という訳で今回も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫初めをお楽しみ下さいませ♪
今年も沢山の皆様に横浜ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2017年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第11回 横浜市内の桜フォト
早いもので2016年もいよいよ今日から新年度ですね♪この記事を書いているのは2016/4/1ですが、横浜は明日が桜の満開予想日で、4/2~3にかけて開催される「大岡川桜まつり」とちょうどタイミング良く重なって、周辺は沢山のお花見客で賑わいそうです♪ちなみに大岡川は、横浜市内でもソープランドが多く集まる福富町と宮川町の間を流れる川で、弘明寺から吉田町までの約4kmにわたって美しい桜並木が続き、横浜市内でも気軽に桜を楽しめる人気のお花見スポットとなっています♪
大岡川の桜は今までも何度か写真を撮りに行って、トップページの横浜百景に載せていましたが、今回はコラムページ用に少し大きめの写真を撮りに行ってきました♪
↑上の写真をクリックすると大きい写真が表示されます。
第10回 横浜ソープ2016年の年末年始営業
早いもので2015年も残り少なくなってまいりました。という訳で今回も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫始めをお楽しみ下さいませ♪
今年も沢山の皆様に横浜ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2016年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第9回 横浜ソープ2015年の年末年始営業
早いもので今年も残り少なくなってまいりました。今回も去年と同じようにソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。HPで分かる範囲で掲載していますので、詳しくは各お店までお電話にてお問い合わせ下さい。今年も沢山の皆様に横浜ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2015年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
第8回 横浜ソープ2014年の年末年始営業
今回も去年と同じ感じでソープランド店リストの方に扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。HPで分かる範囲で掲載していますので、詳しくは各店までお電話にてお問い合わせ下さい。今年も沢山の皆様に横浜ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2014年もよろしくお願い致します。
第7回 続・福富町徹底攻略(チャイナパブ編)
早いもので前回の続きから2年が経過して2013年12月になりましたが、今回は福富町の飲み屋さんの中でもファンの多い中国パブ・台湾パブを取り上げてみたいと思います♪
現在福富町には日本人のお店のほかに中国、台湾、韓国、フィリピン、ロシア、ブラジル、その他インターナショナルのお店など多種多様な飲み屋さんがあります。その中でも中国、台湾系のチャイナパブ(チャイパブ)は軒数が一番多く、福富町全体でもしかしたら100軒を超えるのではないかと思われます(あくまで予想)。
ちなみに現在福富町で飲み屋さんが入っている主なビルを通りごとに見て行くと
福富町東通り周辺
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Yビル |
パレスイセザキ(パレスビル) チャイナ・韓国 |
パレスガーデン 韓国 |
福井ビル チャイナ |
第三泰信ビル 韓国 |
キンガビル チャイナ・ロシア・フィリピン |
アローザビル(シオン福富町) チャイナ |
東38番館 チャイナ |
アントヒル 案内所・チャイナ |
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清正公通り周辺
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セイショーコープラザ132 チャイナ? |
セイショーコープラザ124 チャイナ・日本・ブラジル |
★サミタス横浜ビル チャイナ |
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福富町仲通り周辺
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谷知(やち)ビル |
MEISEI45ビル チャイナ・ロシア |
第二共同ビル ロシア |
第2桂ビル(ミラノビル) |
ラフェスタビル 案内所・チャイナ |
GMビル チャイナ・フィリピン |
No.12末廣ビル |
MTビル チャイナ |
No.10末廣ビル |
国際ビル フィリピン |
和光中央ビル チャイナ・ロシア |
国際ビルヂング |
新福富興業ビル(ナイスショットのビル) ロシア |
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福富町西通り周辺
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★ニューシティ21ビル チャイナ |
11ポイントビル |
佐藤ビル インターナショナル |
ラ・イマージュビル |
日宝ジュビレいせざき |
コスモビル壱番館 |
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以上が挙げられます。ビルに入っているお店の種類は随時調べながら書き足していく予定です。この中でも清正公通りの「サミタスビル」と西通りの「ニューシティビル」にはたくさんのチャイナパブのお店が入っています。
福富町のチャイナパブの料金は1セット60分4,000円が主流で、まれに安いところで3,000円のところがあるかないかといった感じです。悪質なぼったくりのお店は筆者の聞いた範囲では存在しないと思われますが、チャイパブの場合、少人数で行っても数人~それ以上の女の子が付いて自分たちのドリンクをおねだりしてくることがありますので、言われるままにじゃんじゃん飲ませてあげていると1杯1,000円×人数分で数千円以上が上乗せされてしまいます。そのため女の子がドリンクを飲みたいと言ってきても気にせず断ればセット料金以上請求されることはありません。また、最初に値段を確認しておかないとふっかけられるケースもあるみたいですが、入店時にしっかり値段交渉しておけば大丈夫です。
下にも述べる通り、案内所や○○○○経由でお店に行くと料金交渉を代わりに行ってくれるので問題ないですが、自分でお店に直接行く場合は料金交渉をしっかりしておきましょう。交渉次第では少しまけてくれたりもしますし、ドリンクをサービスしてくれたりもします。多人数で行く時はあらかじめ予算を伝えてそれ以内で抑えてもらうようにしておくと安く遊ぶことができます。
チャイナパブへ行く方法としては、
①直接お店へ行く
②案内所へ行ってお店を紹介してもらう
③○○○○にお店を紹介してもらう
以上の3通りがあります。福富町に初めて来られる方や、チャイパブ自体初めての方は②か③の方法が無難かと思われます。福富町には現在案内所が2ヶ所あって、スタッフにどんなお店に行きたいか伝えると、目的のお店まで連れて行ってくれます。また料金の確認や女の子がマンツーマンで付いてくれるかどうかも聞いてくれるため、初めての方にとっては安心と言えます。
他にも○○に○○○いる○○○○(○○○)にお店を紹介してもらう方法があります。○○○○は決まったお店の専属という訳ではないので、遊びに行きたいお店と予算を伝えればそれに見合ったお店に連れて行ってくれます。
ただ、慣れてきたら直接お店へ行っても大丈夫かと思います。案内所や○○○○経由の場合、最初のセット料金の何割かをバックマージンとしてお店が案内所や○○○○に支払わないといけないので、どこも通さずお客さんに直接お店に来てもらった方がお店からも有難がられます。
チャイパブのいいところは、
①若い素人っぽい女の子が多い
②気取らずアットホームな雰囲気で飲める
③交渉次第で料金が安くなることもある
④カラオケが歌い放題
⑤お腹がすいたら近所の中華屋(清香楼など)から通常料金で出前が取れたりする
⑥おつまみを売りに来るおばちゃんからつまみを安く買える
⑦中国語会話の勉強ができる
などなどファンを惹きつけてやまない魅力がいっぱいあります。
その反面、お店によっては、ハウスボトルに安い焼酎や強いお酒を混ぜてあったり、ミネラルウォーターが水道水だったりとかなり適当な一面もあります。ただ、何度か通っているとそんな適当なところもチャイパブの魅力の一つに感じられてくるようになったりもします。また、お店としても、ボトルを入れてあげるとまた来てくれると思ってサービスがよくなったり、女の子としても場内指名をしてあげると喜んでくれたりとお金を使えば使った分だけ満足度も格段に跳ね上がります。
普段のソープ遊びから少し趣向を変えて、もしチャイナパブへ行かれる機会がありましたら、気に入ったお店に何回か通ってみて皆様にとってのチャイナパブのさらなる魅力を見つけてみられるのもいいかもしれませんね♪
【チャイパブ日記】
○某ビル「D」…知り合いの紹介で1時間3,000円にしてもらえました。お店に入ったのは金曜日の夜10時頃。細長い店内を囲むように配置されたシートの8割くらいがお客さんで埋まっています。女の子は20人くらいいましたが全体的にレベルが高く、何人かはモデル級のスタイルでした。今回2人に対して女の子が2人つくマンツーマン状態。筆者についた福建省出身の女の子はスタイル抜群でルックスもかなりのレベル。ドリンクをおねだりされたので女の子2人に2杯ずつ飲ませて1時間でお会計が14,000円くらいでした。お店は常連さんが多く和気あいあいとして楽しい気分でお酒が飲めました。微妙に気になったのがJINROの瓶に入っていたのがJINROじゃなかったことくらい^^;で、それでもかなりCPが良く満足度の高いお店だと思いました。
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第6回 横浜のお祭りと花火大会
夏と言えばソープ!という方も多いと思いますが、花火とお祭りも普段の季節よりアツく盛り上がる時期ですネ♪横浜と言えば筆者はみなとみらいの花火が思い浮かびますが、そのほかの花火大会やお祭り、各種イベントも含めると実は年間かなりの数になります。普段から気にしていないと「行きたかったのに終わってた(T_T)」ということになりかねませんので、今回は備忘録もかねて下に横浜市内で開催されるお祭りやイベントを月ごとにまとめてみました。(※足りないところもあると思いますが、少しずつ調べながら追加・修正していきますm(__)m)
ちなみに下の表の名前部分をクリックすると各イベントのオフィシャルサイト、またはそれに準じたサイト、またはイベントが紹介されているサイトが開き、場所部分をクリックするとそれぞれの場所を目的地としたGoogleマップが開きます。今回参考にさせて頂きましたのは以下のサイトです。
【今回参考にしたサイト】
「横浜市観光情報公式サイト | 年間恒例イベント」
「東京のおでかけイベント情報 | レッツエンジョイ東京 - Let's ENJOY TOKYO」
「全国花火大会 花火カレンダー2012 - Walkerplus」
「ヨコハマ経済新聞 - 横浜都心臨海部のビジネス&カルチャーニュース」
「神奈川県神社庁」
「猫の足あと|東京都・首都圏の寺社情報サイト猫の足あと」
「関東山車まつり寫眞館」
「かながわの産業を応援する産業Navi」
ソープファンとしては、花火大会やお祭り、イベントで疲れたカラダをおフロでゆったりリフレッシュしたり、「今日は○○へ行ったよ~♪」なんて女のコと話す時に話題にもできてイイですネ♪ぜひぜひこの夏は横浜でアツく楽しく盛り上がりましょう~o(*^▽^*)o♪
第5回 春節
このコラムを書いている本日1/23は旧暦のお正月「春節」にあたります。横浜は、ソープ街の福富町をはじめ少し足を延ばせば中華街もあったりと土地柄とてもたくさんの中国人、台湾人が住んでいるため、この時期は街角で「新年好(シンニエンハオ)!」という年始の挨拶をよく耳にします。
日本ではあまりピンときませんが、中華圏の国ではお正月と言えば旧正月のことで、「春節」は最もおめでたい日として祝祭日に指定されているのはもちろん、元日から1週間余りの期間にわたって各地でお祝いの行事が盛大に行われます。もちろん中華街でも爆竹やイルミネーション、獅子舞をはじめ中国の伝統舞踊や雑技など様々なイベントが開催されます。
という訳で、今回はそんな中華街の春節の様子をレポしてみることにしました~^^
中華街の最寄駅はJRだと「石川町」、みなとみらい線だと「元町・中華街」です。今回はJR石川町駅からぶらぶら歩きながら写真を撮ってきましたよ~^^
駅の改札を出て左のスーパーがある方の出口を出ると、左前方に「中華街」と書かれた門が見えます。そのまま道なりにまっすぐ4、500メートルほど進むと大通りの入り口「善隣門」が見えてきます。
ちょっと薄曇りでしたが、街のあちこちに提灯が飾られ、至る所で新年の挨拶を交わす人々の姿が見られました。
今回は屋台で買った腸詰めを食べてから、関帝廟と媽祖廟にお参りしてきました。時間帯が合わなかったため、爆竹を鳴らしてるところや獅子舞の踊りは見られませんでしたが、街全体から新年のお祝いムードが感じられて良かったです。
駅へ戻る帰り道に獅子舞が飾られていたのでとりあえず写真を撮ってみました。
福富町や曙町、桜木町のソープからは少し距離はありますが、この時期だけしか味わえない中華街のお祭り気分をソープ遊びの帰りにぜひ味わってみて下さいネ(*^^*)
第4回 横浜ソープ2012年の年末年始営業
今回は見やすさも考慮してソープランド店リストの方に扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。HPで分かる範囲で掲載していますので、詳しくは各店までお電話にてお問い合わせ下さい。今年も沢山の皆様に横浜ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2012年もよろしくお願い致します。
第3回 福富町徹底攻略
このコラムを執筆しているのは2011年12月24日ですが、早いもので今年ももう残り1週間となりました。あまり長いことコラムをお休みすると忘れられそうなので、今回は横浜でも有数のディープスポット「福富町」を取り上げてみたいと思います。
福富町は、横浜市中区の北西の端の方に位置し、北西に大岡川、北東に吉田町、南東は伊勢佐木モール、南西を長者町に囲まれた約400m×250mの広さの地域です。ただその中には、飲食店やクラブ、パチンコ店、サウナ、ソープランド、ヘルス、エステなど様々なプレイスポットが密集し、まさに歓楽街の様相を呈しています。
また街の特色として、韓国、朝鮮、中国、台湾系のお店がたくさんあり、街全体からエスニックな雰囲気が漂っているのも魅力の一つです。ちなみに福富町は、伊勢佐木モールと並行して街を走る3つの通りによって地名が分かれていて、大岡川の方から順に「福富町西通」、「福富町仲通」、「福富町東通」となっています。
福富町のメイン通りは、伊勢佐木モールを関内駅の方の入り口から200mほど歩いて、ブックオフを右に曲がった通りです。少し歩くと左に果物屋さんがあって頭上に「福」の文字をかたどったモニュメントがあります。数年前に比べると少し空き店舗もあったりしますが、通りの両側にはハングルや中国語など多国籍な看板が立ち並び、焼肉店やレストラン、 飲み屋さんなどが軒を連ねています。
ちなみにお目当てのソープランドですが、福富町のメイン通りをまっすぐ進み後述の清正公通りを右折してしばらく進んだところに1軒、メイン通りに戻って直進し福富町西通の手前の細い路地を右折ししばらく進んだところに2軒、メイン通りに戻って西通にぶつかったところに数軒、そしてそのまままっすぐ進み、大岡川にかかる宮川橋の手前を右折したところに1軒、先ほどの橋の手前を左折し川沿いに歩くとさらに数軒、大きな駐車場ビルの手前で左折し、初芳鮨やパチンコ店のシティー、サウナのニューシティーの間をまっすぐ進んで清正公通りとぶつかったところに1軒あります。
ここで出てくる「清正公通」とは、戦前長者町にあった栄玉山常清寺(今は南区清水ケ丘へ移転)境内の加藤清正公を祭った清正公堂が名前の由来で、福富町仲通と東通の間に位置する細い通りです。
一応地理的なところはこんな感じですが、街のイメージとしてはどちらかと言うと風俗よりは飲み屋さんの印象が強く、ソープランドも1カ所に密集しているというよりは点在している感じなので、あまり気恥ずかしさを感じることなく気軽に遊びに行けるのが利点です。またほんの数百メートル四方の中で「飲む、打つ、買う」+「食べる、寝る」が全てが実現できるため、遊び好きな人にはもってこいの魅惑の街と言えます。
一応筆者も何軒か飲みに行ったことはありますが、飲み屋さんはパチンコ店のシティーから、焼肉店の千山閣、パレスパーキングタワーにかけての通りが軒数的に多く、そこから仲通、東通へ左折したあたりにも密集しています。種類としては「クラブ」、「キャバクラ」、「スナック」、「ホストクラブ」、「ショーパブ」など幅広く、日本人のお店だけではなく中国系、台湾系、韓国系、フィリピン系他など多種多様な感じです。(続く)
第2回 2011年の年末年始営業
2010年の年末と2011年の年始営業のまとめです。HPで分かる範囲で調べただけですので、詳しくは各お店までお問い合わせ下さいませ。
○31日、1日の両方とも営業のお店
千姫横浜店 045-261-0241
横浜角海老 045-261-3498
横浜石亭 045-261-5296
角海老宮殿 045-252-6169
エルカーヒル横浜 045-251-1660
シルヴァーシャドー 045-242-9221
クラブハウス プリプリ 045-261-3786
おませなピーチ姫 0120-346-222
英国屋 045-251-2701
シャトー国際 045-261-0015
AAAトリプルA 045-261-2907
マーメイド 045-242-8616
多恋人 045-261-1134
ナイスデイ 045-241-0089
ナイスレディ 045-242-5541
HANABI 045-231-8111
HEART&HEART 045-242-4431
ワンダフル 045-252-5126
キャッツアイ 045-231-7083
○1日だけお休みのお店
JAPANクラブ 045-252-7720
JAPANクラブ富士 045-317-5755
アップルメロン 045-251-0061
ファイブスター 045-261-0959
ピュア 045-242-7278
第1回 あのお店は今?
今回は横浜のソープランドについて、「昔行ったことがあるけど最近行ったらお店がなかった・゚・(ノД`;)・゚・」という方のために、分かる範囲で店名の移り変わりを調べてみました。今回参考にさせて頂いたサイトや書籍は、横浜市中区の昔の住宅地図(昭和31年・34年・37年・41年・45年・49年・53年・58年・平成3年)とネット掲示板の「5ちゃんねる」の過去ログ、『月刊ミューザー7・8・12・13・15・21・25・27・33・38・42・44・48・63・76・85・87・89・94・95号』(おおとり出版)、『おとこの読本NO.1 いま、トルコ』(永田社)、『おとこの読本NO.4 GO!トルコ』(永田社)、『ザ・トルコ』(いその・えいたろう著/世文社)、『にっぽん全国盛り場ガイド』(壱番館書房)、『好奇心ブック40号 全国ソープランドの本』(双葉社)、『好奇心ブック70号 全国ソープランドの本 2001』(双葉社)、『すぐ行ける面白風俗店マップ』(笠倉出版)、『ナンバーワンギャル情報 VOL.84・128・147・152・155・159』(フェンス)、『MAN-ZOKU手帳 2003』などです。「こんなお店もあった」、「ここが間違ってる」という時は、お手数ですがメールにてお知らせ下さい。ちなみに店名の横のカッコ内には、その店名を確認した住宅地図の発行年度と雑誌の場合は雑誌名を記載しています。
備忘録として他業種についても気になった範囲で載せておきます。今回こちらも参考にさせていただきました。→「cobanobuのブログ」「ストリップ アーカイブ@劇ジェロNOW」「SMペディア」「劇場今昔物語」「俺風」
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- 現在の店名(リンクは地図)
- 店名の移り変わり( 新 ← 旧 )
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- 黄金劇場(横浜市中区末吉町3-49)
- シェアオフィス旧劇場(2014年~2018年) ← 閉館 ← 黄金劇場(~2012/11/29(11/30から休業・2013/6/27で閉館))(1974) ← 横浜ウィンド商会(仮営業所)(1970)
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- 鶴見新世界劇場(この辺り?・横浜市鶴見区鶴見中央4-22)
- 株式会社エスコム ← 閉館 ← 鶴見新世界劇場(1990/11/1~1997/11/20) ← 鶴見ニューワールド劇場(1989/12/1~1990/10/31) ← 鶴見新世界(1973年~) ← 鶴見ベッ世界(1962/4/1)
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横浜曙町~福富町~日ノ出町~野毛~桜木町にかけての今と昔のソープランド(トルコ風呂)MAPを比較しやすいように重ね合わせてみました。このエリアで一番最初にオープンしたお店は地図の範囲から少し外れますが、動物園通りから路地を入った野毛の旧「武蔵屋」の少し北にあったトルコ風呂「横浜温泉ホテル」ではないかと思われます。当時その隣には「野毛見番」もありました。ちなみに1980年代まではソープランドはトルコ風呂と呼ばれていました。今回参考にさせて頂いたのは横浜市中区の昔の住宅地図(昭和31年・34年・37年・41年・45年・49年・53年・58年・平成3年)と『月刊ミューザー7・8・12・13・15・21・25・27・33・38・42・44・48・63・76・85・87・89・94・95号』(おおとり出版)、『おとこの読本NO.1 いま、トルコ』(永田社)、『おとこの読本NO.4 GO!トルコ』(永田社)、『ザ・トルコ』(いその・えいたろう著/世文社)、『にっぽん全国盛り場ガイド』(壱番館書房)、『好奇心ブック40号 全国ソープランドの本』(双葉社)、『好奇心ブック70号 全国ソープランドの本 2001』(双葉社)、『すぐ行ける面白風俗店マップ』(笠倉出版)、『ナンバーワンギャル情報 VOL.84・128・147・152・155・159』(フェンス)、『MAN-ZOKU手帳 2003』です。他の年代のMAPについては作成が終わり次第追加していきます。
地図上のソープランド(トルコ風呂)以外の店舗や建物については、確認できた範囲内で一部のみ記載しています。地図に載っていない店舗や建物はスペースなどの都合上省略しているだけなのでご了承願います。また、ソープのお店で昔ヘルスなど他業態で営業していた場合は、分かる範囲で但し書きを付けています。年代をさかのぼるとトルコとそれ以外の店舗(飲食店・旅館等)の判別が難しい場合もありますので、参考にした地図にトルコと明記されている場合は 印、業態が分からない場合は 印もしくは 印として分類しています。またストリップ劇場は 印もしくは 印、ファッションヘルスは 印として記載しています。